ブログを書こうと思った経緯
このブログを書こうと思ったのは、同じことで悩んでいる人がいるのではないかと思ったからだ。
当時の僕の憂鬱
僕がJW2世だったのは、今から14年前のことで、場所は東北地方。
小学校から高校まで、校内のエホバの証人は全体で3家族くらいのものだった。ひと学年に1人いるかいないか、という人数だった。
だから、信仰を貫こうとすると、大抵1人で行動を起こさなくてはならず、僕にはそれがとても憂鬱だった。
けれども、もっと憂鬱だったのは、自分で選んでいない神様を信じさせられていることだった。
そのとき、僕はテレビもゲームも好きだったし、スポーツも好きだったし、少し大きくなってからは好意を持った人もいたけれど、そのどれにも熱中することが難しかった。
なぜなら、僕はその神様のために、週に3日間、平日の学校が終わってから、もしくは休日、集会に出かけていく必要があったからだ。奉仕活動にも、もちろん毎週出ていた。
やりたいことはたくさんあるのに、好きなことには時間をなかなか当てられず、全てが制限されているように感じた。
そして、さらに厄介なことに、物心のついた時から聖書を学んでいたせいで、その神様を否定する勇気もなかった。辞めたいとも、辞めるのが怖いとも思って悩んでいた。
書こうと思った契機
悩みの大きかった「JW2世」を卒業して10年以上がたった。
僕はすっかり忘れていたけれど、あるときに「最近の都内のある地域の小、中学校では、学生の2、3割がエホバの証人らしい」と聞いた。
それからというもの、自分の過去の記憶が思い出されて仕方がない。
同じように悩んでいる人がいるのではないかとオロオロして、このブログを書くことにした。僕の経験に似たものを見出して、少しでも安心してくれたらと思う。
平衡感覚をもって自分で選択するのはどうだろうか
宗教は悪いものではないし、逆に宗教を選択しない人が愚かな人でもない。
2世の僕たちの一番の特徴は、協会と世間のどちらに対してにも、客観的な平衡感覚を持っていることだ。
自分の信頼している親は協会側の人間で、協会には信頼できる人が多くいることを僕たちは知っている。
一方で、学校の友達や先生は、協会が言うような「愚かな、かわいそうな」人たちではないことも知っている。
その客観的な目がある僕たちならば、自分はどの立場をとるべきか、自分で考えることができるはずだ。
そして、自分で選んだ道ならば、僕はもっと悩みは少なくなるのではないかと思う。
僕でよければ、簡単な相談にも乗れるので、いつでも連絡してください。
どうやって連絡するのか、このブログのしくみはよくわからないが。
おしまい